(8) 名古屋訪問記3(2024年9月)第64回支部総会招待恩師「須俶子先生」
64回支部総会に招待恩師としてご参加いただく須俶子先生(担当教科:英語)のご自宅@愛知県日進市を訪ねました。
高須先生のお母様は愛知県立第二高等女学校(つまり名西高校ですね)の先生で、天神山付近で俶子先生はお生まれになりました。名西とのご縁ここにあり、ですね。
その後は、鳴海で小・中学校を過ごし、菊里高校、名古屋大学文学部と進学され、英語の教員となって最初の赴任高は名西高校でした(昭和40年、1965年)。
名西高校で8年間教鞭をとられた後、昭和48年(1973年)緑ヶ丘商業高校に移り、9年間過ごされた後、昭和57年(1982年)に再び名西高校に戻って6年後転出。その後定年(60歳)まで他校で勤務し、平成15年(2003年)に勤めを終えられました。
合計14年間にも及ぶ名西高校赴任中の卒業生は、名西18回生〜27回生、名西35回生〜42回生になり、関東支部の教え子は789名にも及ぶことになりますね。
写真の絵画は先生の好きな作品です!!
名西に戻ったころから、朝日カルチャーセンターで油絵を学び、現在に至っております。日進市のご自宅には描かれた絵が飾られていました。
右写真のご主人にもご登場いただきましょう。名西赴任中の昭和43年にご結婚されたご主人も名西高校の教員(担当教科:地学)、須先生と中村俶子先生のご結婚は当時の在校生である名西21回生から23回生の方々にとっては晴天の霹靂だったそうですね。
お二人は、コロナ前は温泉地などへ旅行されていたそうですが、最近はあまり外出されないようになってしまったようですね。関東支部総会は久しぶりの東京なのでご主人と上京されるとのことです。
2024年9月 インタビュアー;馬場重夫(26回生)、藤田幸代(28回生)
(7)「名西愛クイズ」第63回支部総会にて実施(2024年6月9日)
2024年6月9日に開催された第63回支部総会で「名西愛クイズ」は主題されました。
問題は上左図のように4問出題されました。 皆さんは難問正解できるかな?
全問正解したら、あなたの名西愛は100%!
問1は簡単ですね。上右図のようなソテツは名西高校の正門わきに堂々と生えていますが、
名西会本部HPに回答が記載してあるのでご覧ください。
今度、名西高校を訪問した際に、正門わきにあるソテツをよく見てきましょう!!。
問2の答は、「萬珍軒」と「チャーラ―」でした。
先日の本部総会時に撮影した写真(右側)では日曜はお休みだったようですね。普通の日は左側写真のように暖簾をかけ営業しており、チャーラ―も健在です!
でも、問2は設問に誤りがあったようです。
「誰でも一度は」というのは誤り、20回生より上の世代の方々に伺ってみると「自分の頃にそんなラーメン屋さんは聞いたことがない」とおっしゃるのです。知らなかった! 名西が設立されたころからずっとあったものと思い込んでいました。先輩方がご存知ないのは当たり前の話で申し訳ありませんでした。
問3の支部総会会場における回答では、ほとんどの方が「(1)女性比率はこの会場より高い」と回答されました。
でも、各学年全てにおいて女性比率が65%前後とほぼ2/3が女性という事実には皆さんびっくりしておられました。
30回生の頃までは女性比率は1/3だったと思うのですが、30-40回生の頃にほぼ半々の比率となり、その後現在の比率で落ち着いたようです。
セーラー服人気があやかってのこの比率、という意見もあるかもしれません。でも、男性比率が低い学生生活を今の男子生徒はどのように過ごしているのかあ、と考えるのは私だけではないと思うのですがいかがでしょうか?
問4は、運動系17,文科系14で行われているクラブ活動の実態を知る問題でした。
J&F(軽音楽)は人気が高いのは今風で良くわかりますが、家庭・被服、ダンスはやっぱり女性が多数を閉めるからだろうな、と思います。バレーボール、バスケットボールは団体競技の華、当然の人気ですね。これは今も昔も変わりません。これに続くサッカー、テニス、卓球もまずまずの人気もやっぱり昔と変わらないな、と思います。
でも、柔道、水泳の衰退は残念です。本報告は、元水泳部のS.B.がまとめました。
(6) 名古屋訪問記2(2023年11月)
63回支部総会に招待恩師としてご参加いただく犬飼亮介先生(担当教科:国語)を現在勤務しておられる栄徳高校@長久手に訪ねました。
犬飼先生は、さだまさし、小柳ルミ子、松坂慶子と同学年の71歳、一つ下に元横綱の北の湖がおり、18歳で幕内力士となったのが自分が高校生の頃で殆ど同学年なので、衝撃をうけたのをよく覚えておられるとか。
南区出身の先生は、明豊中、昭和高校、愛知大学文学部と進学され、ご自身も本を読むのが好きということから自然に国語の先生となっていたとのことでした。
犬飼先生は、1988年から99年までの
11年間名西に在職され、第63回関東支部総会講師の河西秀哉さん(48回生)の1年時担任、および3年間国語をお教えいただいたとのことです。名西41回生(1989年3月卒)〜51回生(1999年3月卒)は犬飼先生にお世話になっているわけですね。
ご略歴は以下の通りです。
○1977年〜11年間 名南工業高校、○1988年〜11年間 名西高校、○1999年〜 3年間 鳴海高校、
○2002年〜11年間 刈谷高校、 ○2013年以降は再任用教員として、刈谷北高校、名古屋南高校、
明和高校、大同大学付属大同高校、中部大附属春日丘高校で教鞭をとられ
○2021年に享栄学園栄徳高校非常勤講師として着任され、今年で3年目とのことです。
河西先生が「同窓生登場」で述べている「一万ページの本を読め」と言っていた先生は、実は犬飼亮介先生だったのですね。犬飼先生は、生徒に何ページの本を読んだか、そしてその感想などを都度レポートにして提出させていたそうで、インタビュー当日に河西先生のクラスを含めた授業担当生徒の提出レポートのファイルを拝見させていただきました。それを見ると、河西先生が抜きんでて本を読んでいたことが分かり、大変興味深く拝見しました。
また、修学旅行に関する文集で河西先生が寄せた原稿では、犬飼先生から「修学旅行に即した文章を書いてほしいね」とご指摘を受け、本人も「なんとなく名西出身の作家の書き方に似てしまった」と受けているのが何とも言えません(事務局注:この名西出身の作家は明らかに18回生の清水義範さん(第31回関東支部総会で講演)の事ですね)。
河西先生の高校時代の茶目っ気も面白いけど、それを許しちゃう犬飼先生も素敵です。
でも、こんな原稿がすぐ出てくること自体、教え子の事をいつも大事に思っている先生なんだなとつくづく感じました。
名西を含め、クラブ活動の顧問は演劇部をご担当されていた犬飼先生は、現在では短歌を中心に以下の団体で活動されています。
短歌雑誌「心の花」会員、 「心の花」名古屋歌会会員、 中部日本歌人会委員、
白鳥短歌会主宰、 愛西短歌会主宰、 短歌同人誌「微文積文」委員
名古屋演劇鑑賞会会員(46年間)、 国語サークル読書会会員(46年間)
こうした分野にご興味がある方は、ぜひ支部総会にて犬飼先生にお声がけいただくか、関東支部までご連絡ください。
さらに招待恩師の水谷尚子先生(担当教科:社会科)を現在勤務しておられる桜花高校@荒畑に訪ねました(桜花高校は、バスケ等でインターハイ優勝等を重ねている名門高なので、そのトロフィー等の前で写真撮影させていただきました⇒⇒⇒⇒)。
水谷先生は、インタビュアーの一つ上なので名西だと25回生相当となります。
瑞穂区出身の先生は、白山中、菊里高、南山大学文学部人類学科考古学教室と進学されました。大学時代の先生は、朝日遺跡(@清州(当時)、東海地方最大級の弥生時代の遺跡、環状2号線が通るということで発掘調査が続けられていた)に毎年発掘現場に出かけ、調査に協力していたとのことです。現場主義の水谷先生の原型ここにありですね。
昭和54年の初任校の武豊高校では4年過ごされ、現在は非常勤講師の傍ら、3人のお孫さんの「子育て支援」をしてみえます。
ご略歴は以下の通りです。
○1979年〜4年間 武豊高校、 ○1983年〜6年間 大府高校、 ○1989年〜17年間 名西高校、
○2006年〜9年間 松陰高校、○2016年以降は再任用教員として、名南工業高校、明和高校、
熱田高校、名古屋南高校で教鞭をとられ、 ○1年間瀬戸北総合高校で非常勤勤務をしたのち、
○産休育休代替教員として桜花学園高校にて勤務され、2年目を迎えておられるとのことです。
水谷先生は、河西秀哉先生(48回生)の3年次担任ですが、17年間おられた名西では名西41回生(1989年3月卒)から57回生(2005年3月卒)が水谷先生にお世話になっているわけですね。
(河西さんの大学当時の)教育実習も担当して、近現代史でしたが大変よく勉強して非常に優秀な実習生だったそうです。
水谷先生の現場主義は徹底しており、教科書に載ったところは夏休み等を利用して精力的に出かけました。
今年は関門海峡に出かけ、その流れの速さと変化を目の当たりにして壇の浦.巌流島.越荷方.下関戦争の史跡や博物館を訪れて、海峡の位置の重要性を実感したそうです。最終日には宗像神社と一族の古墳群を訪れて海人族の活躍に思いを馳せたとか。
生徒にも史跡や文化財に触れてほしく、名西高校では美濃路.志水家(尾張藩家老)の車寄せ.丹羽長秀屋敷跡.忠魂碑が近いので、授業で訪れたり、HRで名古屋能楽堂などを見学したそうです。
部顧問のJRC(青少年赤十字)では、近くの特養ホームの定期訪問.医療療育センターの行事補助等に出かけましたが、アジア保健センター訪問では国際的な問題に目を向けて進路を決めた生徒達もいました。手話勉強会では講師も驚くほど上達した生徒もいて、若い人が自ら課題を見つけると大きな成長をするものだと感心したそうです。
当時の名西では、1年生で任意の夏山登山(蓼科)があったり、定期考査の時は教員同士で中山道東海道を歩いたり、いろいろな所へ出かけよう体験しようという雰囲気があったと懐かしそうにおっしゃっておられました。
そういえば、河西先生(48回生)については定期試験における問題で、「地域史から説き起こして設問につなげている」と指摘されたことをよく覚えているそうです。「なかなか鋭いな」と水谷先生が感じたのは、同じ感覚を持って歴史的課題を見ているからでしょうか。
現在も時間を見つけて、史跡や博物館、美術館巡りをしてみえて、興味のある方は、ぜひ支部総会にて水谷先生にお声がけいただくか、関東支部までご連絡ください。
2023年11月 インタビュアー:馬場重夫(26回生)
(5)名西高校訪問記(2023年5月)名西高校に前野 恵 校長先生を訪ねる
2023年4月に着任された前野 恵 校長先生を名西高校に訪ねました。前野先生は、名西高校初の女性校長になります。校長室脇の応接室でお話を伺いましたが、部屋には歴代校長先生の写真がずらりと並んでいます。ここに前野先生のお姿が並ぶと思うと感慨深いですね。
面談には、伊佐地修一先生(総務(名西会担当)主任、名西40回生)、小塩卓哉元校長先生(現中京大学文学部日本文学科客員教授)にも同席いただきました。
訪問メンバーは、馬場支部長、カサマーニ(名古屋サテライト)支部役員の2人でした。
現在は中京大学で教鞭をとっておられる小塩先生は、大学の所用で途中退席されたので以下の写真には写っていませんが、お母さまから激励された名西高校に今でも強い思い入れを隠せない様子でした。
左から伊佐地先生、前野校長先生、馬場支部長、カサマーニ役員
前野先生は、学校法人滝学園滝中学校、滝高等学校で青春を過ごされました。名古屋大学文学部西洋史学科に進学後は英国中世史を中心に歴史を専攻され、世界史を担当する愛知県教員として春日井西高校で15年、小牧南高校で13年の間に学年主任、教務主任、総務主任を経験され、最後の3年間で前述の小塩先生とご一緒だったということです。
その後は犬山市付近の丹羽高校教頭として3年、名古屋西高校に教頭で移動して2年過ごした後、この4月に校長先生に昇格されました。
名西の頃はバスケット部で当時は名西温泉と呼ばれていたとのことで、何もしない学生だったなあとしみじみおっしゃっていたのは人柄がにじみ出て生徒から信頼される先生なんだな、とつくづく感じました。
秋山先生が退職され、現在は伊佐地先生が進めておられる「名西高校の歩み」の部屋の整備についてお聞きすると、「校舎の長寿命化工事」により備品の一時退避場所のやり繰りに苦労しており、夏からは体育館も工事を進めるため、備品の移動におわれ同窓会も利用できるとした部屋も現在は格納庫のような状態になっているということで写真掲載は見送りました。
上記写真の100周年事業は2015年に行なわれましたが、110年となる2025年はもう目前、すでに本部では会計報告も健全化され、長年の課題だった購買部も廃止することとして、110年を迎える準備を整えつつあるようです。
皆さんは在校当時、お昼のパンや文房具を購買で頻繁に購入されたでしょう。名古屋市内の高校で購買部が残るのは名西だけになっていましたが、これも時代の流れ、近くのコンビニでいつでも食品、文房具が買えるようになり、生徒にとっての利便性も薄れ存在価値が問われていたこの頃でした。
そこで、本部で鋭意検討が行われ、とうとう2023年3月末をもって購買部は廃止されています。
とても狭い所にあるので分かりにくいですが、下記写真で当時のイメージが浮かぶでしょうか? 今はこのようにカーテンでしめきられひっそりと静まり返っているようです。
ところで、この5月でコロナは感染症法上5類相当となり、世の中はafterコロナに向けゆっくり歩み始めました。
2019年末以来のコロナの頃のご苦労を伺ったところ、去年の学園祭後、コロナ感染者が出て大変な思いをしたこと、また74回生は修学旅行は行けず、長島スパーランドで我慢してもらうなど生徒に苦労を掛けたこと、やっと行けた75回生は行き先が北陸に変更になり、何とバス16台を連ねる大遠征部隊(一台のバス当たりの乗車生徒数を1/2程度にしたため2倍以上のバス台数が必要となった)となり、校長先生にも引率をお願いしたなど、大変なご苦労をされたと伺いました。
前野先生が、「子供たちを育てる大切な教育という事に関わることは私の使命であり、今後も良き伝統は守りつつ新しいことも取り入れ、生徒たちが生き生きとした学生生活が送れるよう勤めていきたい」とおっしゃっていたのが印象に残るインタビューでした。
2023年5月18日 インタビュアー:馬場重夫(26回生)、カサマーニ洋子(29回生)
(4) 名西高校訪問記(2021年10月)
2021年4月に着任された大谷宜生校長先生を名西高校に訪ねました。面談には、加藤伸夫教頭先生にも同席いただきました。
訪問メンバーは、馬場支部長、カサマーニ会計、長倉役員(カサマーニ、長倉は関東支部名古屋サテライト(仮称)所属)の3人でした。
大谷先生は、東三河の豊橋南高校出身で、瀬戸北総合高校が初任校、瑞陵高校教頭、愛知県情報教育センター部長、春日井西高校校長を経て名西高校に着任されました。剣道では範士・教士につぐ錬士(れんし)の資格をお持ちで、今でも毎週練習に励んでおられるとのことでした。
加藤教頭先生は2年前に名西高校に着任されましたが、中村高校出身で同窓会運営の苦労話に花が咲き、中村高校同窓会関東支部への橋渡しもお願いできることになりました。
<写真下段左から、大谷校長先生、加藤教頭先生>
注:写真ではマスクをしていませんが、時節柄、会議中は全員マスクをして臨んでいたのはもちろんです!
みなさん、正門あたりから上を見上げると写真のような天文ドームが有るのを覚えておられますか?
長倉役員は、元天文部、今回の彼の参加は改装というか最近整備された天文ドームを是非見学したいということで実現したものです。
彼がドームの中で上を指さしているのが分かりますか? 騙されて上に何があるか一生懸命探してはいけません。 実は下方が重要だったのです。 写真では見えませんが、床面はしっかり工事が施されまっさらな床が露出していました。我々が在学当時、この下部は荷物等が置けるよう掘り下げられており、徹夜観測と称して麻雀にふけることが多かったというのが当時の天文部の常識だったようです。徹夜観測は最低4名の参加を得て、4人単位となったことは言うまでもありません。
ドーム前の写真では、名西会担当の秋山先生にも加わっていただきました。
もう皆さんお気づきかと思いますが、天文ドームと称していますが、残念ながら当時はあった望遠鏡は撤去されています。ドームの開閉も回転もできませんので、望遠鏡のご寄付をいただいても設置は難しいかもしれません。
また、秋山先生は「名西高校の歩み」を展示する部屋の整備も進めておられました。現在はまだ部屋(下の写真参照)を確保した段階ですが、名西高校の歩みをいつでも見ることができるように整備していく方針とのことです。
部屋には応接セットも整備していただき、生徒・保護者が自由に閲覧できるのはもちろん、我々同窓生も同窓会活動などで利用できるようにご配慮いただけるとのことでした。
在校当時の思い出写真等、差し支えない範囲で名西会関東支部に提供いただければ、名西高校に提供させていただきますので、ご連絡ください。
毎年秋に行われる恒例の西高祭、コロナ禍の今年は9月下旬にオンライン配信という形式で応援合戦(写真背景にマスコットが配置されているのが分かりますか?)が行われました。
オンラインとすることにより、ライブ映像を保護者の方々にもご覧いただけるなど、大変好評だったということです。
文化部/運動部=2:1という比率になっている現在の名西高校、このように文化部活動が充実している現在の西高では、文化祭も多彩です。
文化部の発表に加えクラス発表もある文化祭ですが、今年こそは実開催、という思いも虚しくコロナ禍の影響で開催1週間前にオンライン配信開催に切り替え、生徒の頑張りにより何とか開催にこぎ着けました。
撮影は一部プロの手を借りましたが司会は生徒が全て行い、4日間かけてライブ映像を配信し、ほとんどの生徒が内容を堪能したようです。実開催だとなかなかすべての内容を観ることはできないかもしれませんが、オンライン配信ならではの成果もあるということですね。
プログラムの中で評判が高かったのは(家庭部の)ファッションショーで、専門学校の発表会と見まがうような内容だったそうです。その写真がないのが残念ですが、代わりに33名が出演した三味線部の演奏風景をご覧ください。武田佳泉(かなみ)さん(名西60回生)が在校時に創立した三味線部は毎年輝いていますね。
武田さんの活動母体である「輝&輝」、11月から12月にかけて8回行われるコンサート等について輝&輝のホームページでスケジュールをチェックしてぜひお出かけください。支部ホームページの同窓生登場もご覧ください。
西高祭のオンライン配信については、今後我々同窓生にも公開いただけるような機会を作っていただけると楽しいのになあ、と考えますが、流れる楽曲の著作権、生徒たちの肖像権等の問題もあり一般公開は難しそうです。
(3) 名古屋訪問記(2019年4月)
2019年4月に小塩卓哉校長先生が着任されました。小塩先生は名西会の名誉会長にも着任されたので、堀 元支部長顧問副支部長と馬場支部長の二人で名西高校を訪問しました。
小塩先生は、一宮高校を振り出しに旭丘高校の教頭などを歴任し、愛知県総合教育センター勤務を長く続けられたのち、小牧南高校校長を経て名西高校校長に着任されました。
名西高校着任にあたり、お母さまから「愛知県立第二高等女学校に連なる優秀な学生を輩出した名西高校に着任する我が息子を誇りに思う」などと言われたなど、今回の校長就任を心から喜んでおられる様子でした。
<写真中央が小塩卓哉校長先生>
「創造表現コース」で使用されるスタジオもほとんど完成していました。
照明、音響設備、全身を映し出す鏡類など予算に限りにある中、実用に耐える設備を揃えたこのスタジオで、学生たちは連休明けにも授業を受けていることでしょう。
写真:名西高校に新設(旧校舎の一部を改装)されたスタジオ内部全景
注:パノラマモード撮影のため少し画像が歪んでいます。
第61回支部総会にお越しいただく水野一成先生のご自宅も訪問しました。
水野先生は、昭和50年から平成6年まで19年間名西に在職され、61回講師の堀酉基さん(42回生)の1年時担任でもあります。
ご略歴は以下の通りです。
○1943年(昭和18年)岐阜市でご生誕(現在75歳)
○岐阜高校から名古屋大学経済学部卒
○7年間、千種高校で教鞭をとられた後、名西高校で19年間、
社会科(政治経済,現代社会を主に,倫社,日本史)をご担当
分掌: 生活指導部
顧問: 演劇部(先生のオリジナル脚本で全国大会出場も)
○その後、名西高校から、中村高校へ異動され正規教諭10年、
講師として15年を過ごされ、本年3月をもって退職
最近の先生は奥様と稲沢で過ごされていますが、幕末以来の日本人のアジア観にご興味がおありで、関連する本を読み漁っておられるとか。
趣味は、ピアノと手話だそうで、支部総会当日はプロの演奏もありピアノが配置されるので、水野先生の演奏も披露されるかも。
(2) 名西高校で「創造表現コース」開設される!!
2018年4月から名西高校に「創造表現コース」が開設されるそうです。
ダンスや舞台の授業を通じてコミュニケーション能力や創造力を養うコースが愛知県内の高校に設置されるのは初めてなんだって。
新コースは鈴木校長(左記写真)が以前から検討を進めていたもので、名古屋芸術大学から出張授業を受け、元宝塚歌劇団のまほろば遊さんも特別講師としてダンスを教えることになるものです。
コースは文系大学への進学を想定しており定員は40人、二年生でコースを選択でき独自の授業を受けるとか。
一期生となる新一年生の合格発表も行われておりコースを希望する学生は定員以上の見込みだが、実際の授業は一年後なので一年後を楽しみにしましょう。 (2018年3月)
(1)萬珍軒 ありました!
名西在校時代にこのラーメンやさん「萬珍軒」で「チャーラ」を食べたことがない方はいないのでは?
2016年10月に名古屋にお邪魔した際に、昔の記憶を頼りに探したこところ、ありました!!
メニューも昔通りのチャーラが一番人気メニュー、昔、ご夫婦でやっておられたお店は息子さんに代替わりしていて、午後1時過ぎにお店に入ったのですがお客さん多数、みなさん「チャーラ」を頼んでいました。
息子さん曰く「仕入れは親父の代からのお店をずっと使っているので味は全く変わってないはず」とか。
食べてみました。チャーラ!!
味は昔のまま(とはいってもよく覚えているわけではないので、こんな味だったかな?という程度ではありますが)、おいしかったです。
皆様も、お近くにお越しの際はぜひのぞいてみてください。。。
(2017年9月記載 Shigba2(26回生)